「大倉陶園創成ものがたり-初代支配人日野厚のこと」砂川幸雄

まず森村市左衛門(6代目)という方が幕末の日本におられまして、この方が福沢諭吉さんの勧めで弟さんを「行ってこーい!」とアメリカのNYに放り出して、彼が見よう見まねで小売店舗を作り、そこからひたすら「これ送れ」という要求が来るのでその要求に対して必死で全国を回っていた人たちがいて、職人を雇い、集団を作り、東京工業大学の前身の組織に対して資金援助をしつつ、これは、という人物を見つけると貧乏なんかしちゃ駄目だよ資金源は任せとけ! と請け負いつつ。
その傘下とも言えない自由な陶磁器メーカーたちはその敷地内に自分たちの工員のための施設設備というものを整えた傍目には楽園のような工場を作っていたそうです。
今の日本に至るまで有力な陶磁器メーカーが全て森村系のルーツを持っているのですが、多分あれですね、良貨が悪貨の付け入る隙を与えなかったんでしょうね…。
フィランソロピーの概念が日本に伝わってくるよりもこの人のほうが早いよ!!

という、ちょっと本題の大倉陶園とは違うところばかりになってしまったんですが、今まで中核の森村グループから見ていたせいかこの辺の事情がちょっとわかりにくく、どうしてそこまで大きくなったのかとかわからなかったからなぁ。
あくまでもこの大倉陶園は別のルーツ、資金援助などの関係で森村組などとも縁があったよ、という程度なので、廃業の危機に瀕した時は森村の世話になるか、それともさっぱりと企業を売却するか、と迷っていたり、といろいろわかりやすかったです。
私はあくまでも産業目当てだったんでこんな読み方してしまったんですが、大倉陶園の皿は本気で素晴らしかったです、発想の自由というか、色の素晴らしさというか、商売に見えないんだよね、芸術品に見える。それを許す企業体質って、やっぱりすごいよな…。