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「古代東北統治の拠点・多賀城」遺跡を学ぶ066、進藤秋輝

古代東北統治の拠点・多賀城 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)

古代東北統治の拠点・多賀城 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)

 

 

この本の中で出てきた「柵」というものがよくわからなかったんですが、これは普通に軍事拠点として捉えていていいんでしょうか、出来上がったあとに多賀城と呼ばれたみたいだしね、もともとこの柵の名前が多賀柵で、呼び別け方が曖昧。
陸奥国の、うーん、国府は別にあるって認識のほうがいいのかな?
(まあ陸奥国ってこの時期には国境線が曖昧というか膨張中なんですけどね、今の東北が出羽と陸奥しかないや、蝦夷討伐ってことらしいです。)
ええと、この頃というか、律令制っていうか6世紀前半というか。
ああ、防衛設備のこと「城柵」とも言ってるし単純に規模の違いなのかも。
で、多賀城そのものはわりと早くから存在が認識されていたものの、そういうかつての軍事侵略の跡地とのみ認識され、一時はGHQに史跡の指定解除などもされたものの周辺の発掘が進み、どうも独特の文化圏があったんじゃないかな、と判明。
平安末期くらいの『台記』『吾妻鏡』では多賀国府という存在への言及もあるんですが、行政施設などの存在を見ても確かに国府っぽいよなぁ、これ。ただ、記録が途切れてしまうし、この頃まで残っていたという痕跡も今のところ見付かっていないようで、まあ名前からして無関係とも思いにくいんですが、あるいは移転してしまったんだろうか。

ここの瓦の中からは他の東海道所属の国々の名前が刻まれたものも見付かっているらしく、武蔵国のものがなかったんですが、そういや作られた頃には東山道所属か、拡張の段階では東山道からの参加もあったようです(武蔵刻印は見付かってないのかなw)。
しかし多賀柵や多賀城まではともかく、その後の行政機関としか思えない文脈ってどうなっているんだろうなぁ。日本の歴史ってつくづく謎がいっぱいだなぁ。