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「鉄剣銘一一五文字の謎に迫る・埼玉古墳群」遺跡を学ぶ016、高橋一夫

鉄剣銘一一五文字の謎に迫る・埼玉古墳群 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)

鉄剣銘一一五文字の謎に迫る・埼玉古墳群 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)

 

 そもそもこの埼玉古墳群で「金字の銘」が見つかったという1987年というのがいつのことかわからず、だいぶ昔のような気がしてしまっていたんですが昭和62年、あとちょっとで平成だったよ…この辺の時期さっぱりわかってませんね。
で、全体的な論調としてはこの埼玉古墳群の格がただごとではないことと(張り出しと造り出しがどうしてそんなに重要なのかは正直さっぱりわからなかったけどw)、そのわりには8世紀くらいの律令制の完成の頃までには完全に力を失い、武蔵府中すらだいぶ離れた現在の東京都府中市に据えられ、国分寺もその近く。
私はこちらの府中に連なる地域に住んでいるんですが、正直埼玉とのつながりがまるでないというか、正直神社同士のつながりくらいしかないんじゃないのかなぁ…。
なので古墳の形などから武蔵国造がどうもニ系統いたのではないか、というのも納得。
上毛野の辺りとの関係、というより埼玉古墳群への支配も、多少ですが納得出来る部分もあるかも。府中も上毛野とつながってる道があるんですよね(どちらの地域が地位が上かはわからないんですが、同じ東山道所属から武蔵国東海道所属になった時点で関係断絶)。
そして奈良の辺りに多くあった格の高い前方後円墳のスタイルがその地では少なくなったあとに埼玉古墳群で突出して多くなるっていう数値も、なんかすごいww
これ、正直さすがに仮説でもいいから話聞きたかったですが、なにかがあることはさすがにわかるものの、全部に説明付けるのはいかにも難しそうだよなぁ。

ところで埴輪を多く展開して劇仕立てになっているという話も面白かったんですが、作りが甘かったのか滑り落ちたという出来事と、あの作り方じゃ駄目だな、と冷静な科学者の目で見ていたという展開が結構好きです、しかし本当にまだまだ発展途上だなあ古代史。