「長州奇兵隊-勝者のなかの敗者たち」一坂太郎

ちょうどこの一つ前に司馬さんの本を読んでいたんですが(司馬史観への批判本みたいなものも出しておられるみたいですね)、そこで語られていた「長州はもともと3分の1の土地に毛利氏の家臣が押し込められ、そこで身分を捨てて農民になっても付いて行こうとしていた者も少なくなく、そのために農民に至るまでの一体感があった」という文章がありまして。
多分この本も他の長州の文章も、その前提で読んだほうがいいんだよね、でも現地の人でも近代から少し離れるとその感覚がないんだなー、と不思議な気持ちに、むしろその幕末からの動乱の結果身分意識が作られたみたいに見えないでもない。

と、いう読み方は多分あんまり正しくないと思うんですが、この本のテーマである高杉晋作(なにかと思ったら彼が作ったのが奇兵隊なのか、なるほどなるほど)の美化というか、挙兵した彼を持ち上げ、その周囲のごたごたを揉み消さなければならなかった歴史と、その修正された歴史を鵜呑みにした山口、という指摘の価値は高いままと思う。
むしろ新撰組会津のほうが、よほど生の声を聞こうと、敗者として必死で自分たちを残そうとした、という評価なのも正直とても美しいとは思うんだ。東北の地で長州兵の墓が大事にされていたことや、会津の孤児が引き取られた話を拾い上げようとするのも。
ただ著者さん自身もどっかしらまだ歴史の内部にいらっしゃるようには見えるんだよね。
長州って単位に馴染めてないというか、それも欺瞞だと思ってるんじゃないかな。
でも個人的には、揉み消された歴史も揉み消した側の事情も、それ以前もそれ以降も、この方が過去を掘り起こそうとしたそこまで含めて一つの歴史だな、と見えるんですよね。地域性って意味だと皆似てるんだよな、傍目には。