『日本の美術460 光悦と本阿弥流の人々』河野元昭

正直なところつい最近「本阿弥行状録」を読んでいるのでしばしば首を傾げてしまう部分があったのですが(光徳がなんか徳川家康さんにざっくり評価と違うのを言い放ってお、おう、みたいな感じの態度になられてたとか、父親の縁で土地貰ったんだけどね、とか刀持ってったらどういう指示があったよみたいなことが触れられてるあれ)、まああれ、光悦さんがそれほど交通の便が良くはなさそうな土地で「光悦村」みたいなものを持っていたという部分はそんなに問題はないんだよね。
あと俵屋宗達と仲が良く、複数の芸術家らで組んで和歌を編集していたこと。
茶碗に装丁をしていたこと(ちょっと傾いた茶碗をここの著者さんは本来は失敗作だ、と言い切っていたものの、あの形は結構見慣れてるのでどう受け取っていいのかはちょっとわからなかったかな、うーん、他の同系統の作品はどういう認識なんだろう…)。
この茶碗への装丁は金工細工もしていたことの延長かな?
文化人と言われる層にはわりと冷徹だったみたいなことも言われていたかなぁ、本阿弥家ってなんとなく独特のところがあって、刀目利きとして権力者のところに出入りしているもののあんまりどこと、と偏ることがないんだよね。
ていうか、権力者の機嫌よりも刀のほうが大事みたいな態度しばしば取るよね…なんか家ごと変わってる感じの。

と、いうところとこの本の内容に親和性があったかというとそうでもないんですが、まあ、作品は美しかったし別にいいのかな。当時一般的に親しまれていた歌仙三十六選の人選には従ったものの、その並べ方も和歌の選定も独自とかね。
ただ、独立独歩の人って反体制かというとそうでもないんだw 光悦村も逃げ場かねぇ。