「律令国家を支えた地方官衙・弥勒寺遺跡群」遺跡を学ぶ046、田中弘志

律令体制を支えた地方官衙・弥勒寺遺跡群 (シリーズ「遺跡を学ぶ」 46)

律令体制を支えた地方官衙・弥勒寺遺跡群 (シリーズ「遺跡を学ぶ」 46)

 

 

正直読み終わった時点でなにを読んだのかがわからなかったんですが、地方官衙という表現をされているんですね、美濃の武義郡(むぎぐん)のムゲツ氏の本拠地、ということでいいんでしょうか。
弥勒寺を従えるように位置していたので国府と勘違いしていたんですが、実際このあとの美濃国の国府もこの「弥勒寺遺跡群」と似ていたようで…なんとも不思議な名前になってるけど、詳細不明ってことだと仕方ないよね、うん、仕方ない。
で、さらに構造が大宰府とか多賀柵(のちの城ですね、防衛拠点)に似てるとか言われると最前線の防衛拠点ー、として機能することもあったけど文化交流をすることもあった土地ってことか、どういうことだ、としか言い様がなく。
いつも内容をがらっと変えてブックレビュー複数をまとめているのですが、大宰府と多賀柵ばかりは省けませんでした、なんで美濃国にそんなものがあるのかが不思議だよなぁ、あと、この武義郡がなにか特別な扱いを周囲から受けているらしい節がある。
でもよく考えたら多賀柵も大宰府も、完全に必要な土地に作られたというよりここから支援するみたいなニュアンスのことが多かったのかなぁ(相手が船で来る、もしくは東北陸奥だと前線が変化する)。

だいたい、弥勒寺が付随してるという段階で国府にもよくあった構造にしか見えないよね、おかげでしばらく混乱してたんだなぁ。なんでかは知らないけど寺がくっ付いてるんだよね、今の時点で一箇所神社も見てるけど(国分寺ではないです、近いけど)。
やっぱり天皇家にとってちょっと特異な位置にあったとかそういうことなんでしょうか、30年ほど調査苦労されてるそうですが引き続き頑張って欲しいなぁ。