「豊島区の歴史」東京ふる里文庫3、林英夫

池袋がそもそも目白の変わりであって(それこそ巣鴨刑務所のせいで曲がれなかったって聞きますね)、今は新宿駅に続く第2の乗降数を誇る、というのはわりと聞くんですが、もともと大塚や巣鴨、雑司が谷の一部を切り取ったもので、と言われると結構寄せ集めなんですね? 豊島郡そのものは古い地名なんですけどねー、目白ってのも地名としては明治以降だよん、てのが一番意外だったかも、あ、そうなんだ。
あ、あと「丸池が池袋の語源って言われてるけども」ってのは昭和52年の段階で言われてたんですねw この辺の地名にそもそも池が付くことが多いらしく、袋ってのも地形の一種らしいってのは確か前に『ブラタモリ』だったかで聞いたよなぁ。

同じシリーズの練馬、新宿と読んできたんですが、そちらと違って地区単位ではなく史跡巡り以外は一人の人が書いている関係なのか、武蔵国全体の歴史に関しての話がぽちぽちと、平将門とか北条氏とか、鎌倉との絡みとか江戸時代とか、武蔵野っていう美名があるんですが(これ美名らしいです、今聞くと田舎って言ってる気がするんだけど、自然が美しいってニュアンスなんだって)、なんだかたまに武士崩れの存在が逃げて来てないかw
今の都電荒川線を作った王子電車の本社があったってのは始めて聞いたんですが、なんだろう、この地での労働争議労働組合がやたらと多いような気もするんだけど、そもそも横のノウハウみたいなものが伝わってたってことなのかなぁ、連合してるなんてことも実際あるみたいなんですけどね、全員解雇や逮捕されても戦い続けられるってことは、さすがに外部の援助があるってことだよね。
お鷹場の存在や、あまり進まなかった農地開拓とか、逃げ込む場、抗い続ける武蔵野の気質というか、なんとなく伝わっているような気もするんですが気のせいかなw