「産業革命期の地域交通と輸送」鉄道史叢書6、老川慶喜

とりあえずいつもの渋沢栄一がわりと日本煉瓦製造会社と深く関わっていて、ここがどうも河川輸送までを自社範囲内としていたので受注が好況でも地域が広がると微妙にダメージがあったのだとか(多分輸送する関係だろうね、煉瓦はどうしても一定数壊れるんだろうな)、川口の鋳物業は日本一と言っていいような活況で、そこが次第に京浜工業地帯とも結び付いていったんだよ、とか、秩父上武鉄道(→秩父鉄道)がだんだんとセメント産業へとつながっていくという辺りが主に扱われていたと言っていいのかな。
ここでちょっと難しかったのが大型船舶によるいわゆる海運会社などとは別物なんですよね、語られていたものは、あくまで小型で河川や短距離を運ぶ想定で、意外と鉄道に負けるというわけでもなくあとの時代まで残っていたりもするようなんですが。
やっぱりその辺は積み下ろしの関係だろうなぁ、鉄道がだんだんと伸びて行く段階でもよく「規格が同じなのでそのまま路線に入ることが出来」みたいなことが語られていたので、私鉄官鉄に関係なく産業の意味ではそちらのほうが大事だったんでしょうね。
あと、軽くて高価なものはもともと鉄道輸送での意味が大きいってことが養蚕関係のところで語られていたんですが、これはちょっと今の航空輸送を思い出させる内容だよね。とはいえ、輸送費は路線が増えてくとぽちぽち下がってったみたいですよ。
微妙に気になったのが「官鉄平均」「私鉄平均」「甲武平均」(今の中央線)とあった営業係数なんですが、いや電車だって私はわかったけど他の人わかるのかなww

どちらかという交通よりも産業を軸に語って鉄道や交通の整備が行われ、ただし一旦交通が出来てしまうと状況が劇的に変化する、みたいなほうがわかりやすかったかなぁ。しかし鉄道と馬車と河川舟運、牛車なんかはまだまだ未整理っぽいよなあ。