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『日本の美術196 飛鳥・奈良建築』鈴木嘉吉・編

日本ノ建築 雑誌

アマゾンにてデータなし、と思ったらどうも雑誌そのものが一時期登録されてないっぽいなぁ(ないことを確認するのは苦労しました)、すごく大雑把にかつての日本の建築というのは高床式で、要するに式年遷宮によって20年おきに建て替えられる伊勢神宮のあの形式で、瓦屋根の建物は寺院建築くらい。
陸中国で発展したこの瓦屋根は渡来系の職人によって日本での寺院には使われていたものの、都においてもかつてはその使用はされておらず、たまたま作られた藤原京が「大陸の都を模した」ために始めての瓦屋根だった、ということになるのかな。
前に国分寺の本を読んでいた時点でも、当時は寺くらいしか瓦なかったね、ということが言われてましたね。その後どういう経緯を辿ったんだろうね、不思議。
北九州の友人に聞いたところ大宰府なんかはもう完全に渡来系の職工によって作られたって明記されてるよ、ということなんですが、国分寺よりも前なんだよねこれ。

で、まあ大雑把にほとんど寺院建築の本になってました、特に後半。
前に寺院建築の本を読んでいたので、ものすごく被ってたんですよね、うん仕方ないんだけども、そもそも高床式でその後解体なりされていたら痕跡残らないだろうしなぁ。
そういや藤原京そのものはわりと早い段階でサイズの限界が来て放棄されてしまい、その資材を次の都に運んだ、ということでいいのかな? これが平城京
平城京にぽちぽちと寺院を建てていったんですが元興寺、その隣の藤原氏の氏寺である興福寺、そしてさらに隣に東大寺(総国分寺)。東大寺がなんで興福寺の近くなのかがよくわからなかったんですが、興福寺よりも荘厳に、とのことでなんとなく納得w
そして国分寺はそれぞれの国で一番の規模に、という、政治の本だなこれは!!