「三菱一号館美術館-丸の内に生まれた美術館」三菱地所・編

もともと丸の内に荒野が広がっていた、というのはどうもあれはあの周辺(要するにかつての江戸城から日本橋の辺り)に軍事関係の施設が多く展開していて、中央政府資金を捻出しようとして高値を吹っ掛けたためになかなか買い手が決まらず、要するに移転から次の建設着手までにしばらく間が空いた、というために起こっていた事態のようですがw
(まあ写真に残ってたのが本当に見事な荒野だというのは仕方ないよな。)
そこを買ったのが三菱で、まあその辺のごたごたや資金源などが語られていたわけではなかったんですが、買い取った土地を細分化しようとせず、しかも建材を煉瓦造りもしくは石造りと限定(まだコンクリートが一般的ですらなかったようです)、とてもじゃないけれど一般の事業者には手が出せず、という状況の中で仕方がないので三菱自らが煉瓦造りのビルを量産し、貸しビルとして運営していたよ、というのも別の本で読んだのですが。
ビルの数が多かったので数字で管理してたみたいなんですよね、なので「一号館」なんだろうね、で、それを作ったのがジョサイア・コンドルだよー、という感じに。
どうもこう、三菱って他の流行や流れに乗るということがなくて、かなり独立独歩だなぁ、という気がするんですが。
建築家らを育てたあとの後半生のジョサイア・コンドルはこの三菱と関わることが多く、この彼が彼で丸の内で美術館をやろう! ということを目論んでいたようです。人としては素晴らしいんだけど、日本の当時の文化レベル無視ってないかww

で、まあ結局計画は頓挫したようなのですが、ごめんなさいコンドルさんでも本当に無理だったと思う、21世紀になってプロジェクト復活。中身の美術コレクションも流行を全く追わない文化度の高い、なんだその、いいことだと思います、茶化してごめんなさい。