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「赤城山麓の三万年前のムラ・下触牛伏遺跡」遺跡を学ぶ030、小菅将夫

遺跡・古代史 Book
赤城山麓の三万年前のムラ―下触牛伏遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)

赤城山麓の三万年前のムラ―下触牛伏遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)

 

 

この群馬の「岩宿時代の遺跡」は(そういうまとめ方されてます、この遺跡だけで特別に傑出したところがあるわけではなくて複数の遺跡を見てようやっと分析が始まったみたいな感じ)そもそも障害者スポーツセンターを建設しようとしていたら出てきたものらしく、1982年なのでそこそこ古くはあるのかな。
ただ、正直今後もこの手のものはちまちま出てくるんだろうなぁ、という認識していましたし実際横浜のほうでとか多摩ニュータウン関係なんかでも出ているっぽいですね。
岩宿時代というのは群馬県岩宿遺跡と同系統の遺跡に対しての分類(その中でもものによっては7千年くらいの幅があるみたいなんだけどね、特定出来ないんではなくてそのくらいの期間に渡って使われていたってことでもあるのかな?)、大雑把には旧石器時代に含まれるようなんですが旧来のイメージとはずいぶん違うらしく。ほぼ東日本に点在。
石のナイフがごろごろ、敲石(こういし)ってのは普通に日常生活品らしいんですが、ネットで検索したところだとすり潰し用とされていまして、専門家の間では定説にはなっていないのかなぁ、と考えたり。結構この手の推測はあとから間違っていたとされることなども少なくないので、確定していないものは触れなかったのかもね。

分布を見ていたらなんだかぼんやりと丸く、複数の住居同士の交流の形跡らしきものもあり、同じ石を割った道具なんてのも近くの住居跡から見付かったこともあり。
季節ごとによる移住地の一つだったのではないか、獣を追う時期には集結し、木の実を採取する時期には分散していたという可能性もあるのかなぁ、という推測も。
このシリーズだと正直あんまり推測にまで至ってないことが多いんですが、これは同系統の遺跡が複数見付かったからこそそこまで進んだってことなのかもねぇ。