「論文捏造はなぜ起きたのか?」杉晴夫

日本というものを語る時にどのジャンルかということに限らず、東洋の人情による裁定、身内での助け合いというものが事実上薄れ、西洋の国家や政府による福祉制度の導入がいまだ出来ていない「悪いどころ」取り、の国、ということが語られていることがあるんですが。
例えば研究体制だと、確かに弟子が可愛くて贔屓はするものの、一人前になるまで育てるってやればそれは無意味でもないよね。これが東洋的(で、かつての日本)。そして商業主義から始まっていても、それが熟成して研究者全体を支えるだけになっていればそれでいい、これは主に本で語られていたアメリカの状況だと思うんですが。

この悪いところ取りをすると、現在注目の高い人気取りのテーマにのみ飛び付き、権威あると認められたノーベル賞を取るようなレベルの科学雑誌よりも、発行部数が多い雑誌にのみ「高い評価」を与える、みたいななにをしたいんだかよくわからないことになるんですね。
というか特定の研究者の弟子や教え子を、「平等のために」別の研究室に付けた上で彼らの親心で高い研究費を与えるって…(そして研究室そのものが予算のアンバランスで崩壊する)。研究者の手元に置かせたほうがなんぼかマシじゃないのって思うの私だけかな。
評価に恣意が混ざるよりも、変な平等意識のほうがまずい気がしないでもない。
いやだって、途中まで育ててる能力がわかってる教え子が可愛いこと自体はしょうがないし、それが弱小研究室に取られたら心配になるよな…なんだかなぁ。
というか、人気あるジャンルって研究者が大量にいるから儲け出ないじゃん理論的に!!
若い人が飛びつくのはしょうがないし、しばらく下積みするのもありだけど、政府がやるかなに考えてんだ、みたいな感じの本です。しかも明治からの伝統だって、はははは。