「江戸のミクロコスモス・加賀藩江戸屋敷」遺跡を学ぶ011、追川吉生

江戸のミクロコスモス・加賀藩江戸屋敷 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)

江戸のミクロコスモス・加賀藩江戸屋敷 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)

 

 

正直「加賀百万石」と聞いたことのない日本人はあまり多くはないだろうものの、それがだいたい北陸地域で金沢多分含まれてるよね、という程度で終了してしまうのでとにかくまあ、裕福なんだろうな、というイメージしか長くなかったんですけどね。
近代史を読むようになっても江戸時代を読むようになっても、なんか時折出てくる、あと、近所にもなんだか加賀藩の江戸屋敷(下屋敷で近代まで残っていたようです)が残っていたりと名前はよく聞くんですよやっぱり。
で、さらに言うと外様大名だとか、外様大名のわりには徳川家から松平の名前を与えられて親戚のような扱いだったり、この本の中でも将軍息女が腰入れして来て赤門を作ったものの、徳川家からは費用が掛かり過ぎないように気遣いがあって、でもそんな気遣いはいらない、もっと高い格式を、と要求していたとか。
相変わらずよくわからないんですが、とりあえず裕福だったんだろうなとしみじみ。
そしてどうも周囲からわりと信頼されているというか重く見られてる気もします。

さらにあれ、東大寺のところの赤門がそれなんですが(東京で残存した3つの赤門のうちの一つだったかな)、要するに東京大空襲でも燃え残りまして、当時の生活様式を見る良さそうなサンプルとして発掘されていたのがこの巻。
女性用と男性用の便所で女性用の鉛の数値が高いのは白粉のせいだろうねぇ、と言われていたのはちょっとびっくり。あ、花魁が早死にすると言われてたのは聞いたんですが、やっぱり一般の女性も結構影響があったのか。
ただ、これが普通の大名屋敷の様子だったのかはちょっと微妙、国許からの取り寄せ魚が多いとかゴミが多いとか、遺跡段階でもうだいぶ裕福だよね!!