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「原始集落を掘る・尖石遺跡」遺跡を学ぶ004、勅使河原彰

原始集落を掘る・尖石遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)

原始集落を掘る・尖石遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)

 

 

もともと遺跡があることが戦前から(なにしろ宮家の人がわざわざ来るくらいだしね)あることはわかっていたものの、本格的に発掘されたのがそれこそこの尖石遺跡だったのかな、宮坂英弌(ふさかずってお名前なのね?!)という地元の研究者の方にスポットが当たっている本は珍しいんですが、それこそ息子や奥さんが遺跡発掘で餓死するほど根詰めてたっていうからなぁ…それで一時代を築いたんなら確かに評価はされて欲しいよね。
中央本線を新宿から出て八王子や高尾を越え(ニセ八ヶ岳ってw)、信州の八ヶ岳の緩やかな裾野と水の流れと共に中世の頃に見付かった1000年ほど前の住居があり、それを持ってして「縄文のふるさと」ということが言われているらしいんですが、さすがにかなりの数が点在しているから一部は露出していたものの、なかなか全体像が把握されていなかった、というか、発掘に関わる人も地層を勘違いしてたっぽい。
(当時の地表ではなく、その上の中世ののちに堆積した「あとの時代」の表土を主に調べていたそうです、で、一階層掘り進めたら全体像が出てくるわ出てくるわ、あとの時代の人間になると当たり前な気がするけど、気付かないのもなんかわかるw)

地元で教師をしていた宮坂英弌氏が遺跡に関わるようになったのは伏見宮がこの地を尋ねる時の下調べだったそうですが、その後気付いたら没頭。ある程度の発掘が進んだのちにその尖石遺跡が国史跡へと認定され、片倉家という近くの富豪にそのコレクションを譲らざるを得ない状況になっても(というか、引き換えに資金援助して貰ったような形で誰が悪いとは言えないよなぁ)、その後の家族の餓死という事態に至ってる辺り。
びっくりした友人が駆けつけて来て地元の援助団体を立ち上げ、多分そこから縄文のふるさとと呼ばれるだけの規模が徐々に現れて来たんでしょうが。黎明期は大変だ本当に。