「古地図で歩く江戸城・大名屋敷」別冊太陽 太陽の地図帖060、岡本哲志・監修

古地図で歩く江戸城・大名屋敷 (別冊太陽 太陽の地図帖)

古地図で歩く江戸城・大名屋敷 (別冊太陽 太陽の地図帖)

 

 

前に読んでいた本で東海道沿いの大名行列は見物人が多い関係でどうしても華美にせざるを得なく、中山道甲州街道を通りたがった、というような記述を見たことがあったんですが、防衛ラインである江戸城外濠に次いで防衛の意味で重視されたのが甲州街道で、その大名行列は3藩しか許されず、街道沿いに屋敷を置くことを許されたのは内藤家だけだった、というのは初めて聞いたかも。
というか、甲州街道に新しく「新宿」を作る時点で内藤家の領地に作られた、というのも多分同じ文脈の出来事なんでしょうね。まあ後年には旗本や他の大名屋敷へと土地を分割していったみたいなんですけどね。彦根藩の井伊家なんかが屋敷構えてるね。
明治政府から悪意を持たれていた彦根藩、て聞いた時にちょっと意味わからなかったんですが、よく考えたら井伊家だねw 暗殺された井伊直弼ですね、桜田門外の変の。)

この本の中で紹介されていたのは江戸城内濠(濠ってのはあれです城の外にあるお堀、江戸城は内濠と外濠があって外濠までを江戸城とすると世界一の広さの城になるんだって)、大名行列の多かった東海道中山道、この辺にあったのが大名たちが江戸城詰めとなる関係の上屋敷。その控えである隠居した大名や後継者がいたという中屋敷。
古川や神田川沿いにあった下屋敷、これは庭園に水を引き込んでいた関係かな、上屋敷よりもだいぶ広いんだけどちょっと不便な土地にあったとか。隅田川沿いや参拝として著名だった大山道の周囲にあるのは物品の流通経路として利便性が高かったからかなぁ。
それぞれの土地についての詳しい解説があったわけではないんですが、江戸がトータルでどういう捉えられ方をしていたのか、ということを捉えるにはいい本だったと思います。そういや東大赤門って加賀藩上屋敷跡なんですが、あれ、外様最大勢力だったのか。