「東京空襲下の生活日録-「銃後」が戦場化した10カ月」早乙女勝元

そもそも「銃後」とはなんですか? という女子生徒の問いから始まったこの本、大雑把に女子どもに老人、本来の意味は戦場に出ていない兵士以外という意味だったのだろうと思うのですが、日本の敗戦直前の時期には、本当にほとんど全ての男が戦場に直接借り出され、それ以外の女たちも戦線を二義的に支えるという体制になり。
正直なところ、私の祖父母世代は戦場で失われてることが主だった最後の世代、高等教育を受けて戦争の最後の頃まで借り出されなかった層で(代わりにあと数日戦争が続いていたら特攻として散っていたそうですが)、祖母らもそこまで直接的な飢えは感じていなかった階層のようで日本の全ての人間が苦しかったわけではない、というのは一応認識として知っているんですけどね、だからって最近よく聞くように「戦争が苦しかったなんて嘘っぱちだ」と言われてもそれもそれで困るんですよね。
だって祖父の兄弟も祖母の兄弟も、かなりごろごろ欠けてるし、写真若いままで残ってるしお墓に二十代の人間が刻まれてるし。東京に住んでいると、この地域には空襲がなかったので特別に戦前の建物が残っていたりもしますって、ごく自然な認識なんだもん。
竹やりでB29が落とせた、風船爆弾でアメリカ上陸を果たしたって聞くようになったのはわりとここ数年、それに対する返答のようにこの本にも載ってましたが「ピクニックに来ていた6人家族が風船爆弾の被害に」って…忘れたままでいいんじゃないかな。

なんだろう、戦時中の戦意高揚のために作られていた宣伝報道が、現代に蘇ってきたかのような気すらしないでもないんだよなぁ。
初期勇ましかったのはわりと知ってます、文人が日記でがなってたし、でも末期勇ましかったのは、ううん、やっぱり、さすがに少なかったと思うんだよね。負担酷すぎてなぁ。