「古地図・古写真で見る東海道五十三次」別冊歴史読本21、今井金吾

もともと旧街道や江戸時代への興味から入ったわけではないもので(鉄道の建設初期の話だとどうしても前時代の事情が関係してくるので少しずつ)、この前に何冊か読んでいてようやっと宿場名には聞き覚えが出来てきたというところなんですが。
神奈川県下の宿場名が結構地名として残っているんで、その辺はわりとわかりやすいですね。というか、神奈川県ってひょっとして東海道ルートを意識して作られてるんじゃないのかなぁ、神奈川ってのもこれももともと宿場名ですよね。品川が一の宿で川崎宿の次。
(ところで江戸初期の頃は川崎宿がなくてあとから新設されたのは知りませんでした、川崎大師ってあるんですが、そっちのがよっぽど古くから有名なのね。)

この東海道は特に大名行列も多く、伝令などの中継地点にもなるので「人馬の負担」という言葉で表されていたんですが、街道を支えるための負担があって、そのために当時公認されてなかった飯盛女といういわゆる娼婦のような存在を置くことが半ば公認されていたのだとか、ただあまり露骨なこともされたくなかったらしくて、たまに手入れが入るんだけどね。
宿場間が短い区間だとやっぱり彼女らのいる宿場に泊まることも多かったようです。
小さな宿場だったけれど女が多くて、十分潤っていた宿場だとか、隣の宿場との距離が短かったけれど渡しを経営していたので利益はあった宿場だとか、鉄道が走る時代になったらまた距離が離れたりますます栄えたりとか、同じ東海道の宿場とはいえ状況はばらばら。
負担が大きくて渡しに参加したいと願っていた宿場の話なんてのもあったよなぁ。
けれど、鉄道が外れたからこそ旧街道の趣が残った土地などの話もやっぱりあって、そういう土地はあとの時代に注目されたりすることもあるんでしょうね。
東海道の地図の変遷の話も面白かったです、鉄道になって変わっちゃったのね。