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「多摩川をいく」平野勝

7割ほど読み進んだ時点で多摩川を扱っているにしてはページ配分が? ということを考えていて、羽村堰(ここで一旦全ての多摩川の水が取水されて、東京都の水源になっているようです)の単語がちらほらと見え始めた頃にやっと気付きましたが、これ、この本、いわゆる多摩川源流のみの本だったんですね。
これから下流は都市河川となってしまって性質を変える、という柔らかい言葉で示されてはいましたが、そもそもそこから先は完全に人間が手を加えたあとの水しか流れてないんだよね、もちろん少し昔の、下水処理が十分にされていない水が流れていたほうが良かったと言うつもりは毛頭ないし、まあ、水源がなければ都市が維持出来ないことを非難するわけでもないんですが、ただ、このやんわりと現実の状態を言い換えなきゃならないというのはさすがにもやもやすることはあるかなぁ。
かつて読んだ本で「環境保全なんて、取水堰を爆破して多摩川の源水を流せば問題なんて一気になくなる」という言い回しをしていたという人らがいたということに触れている方がいたんですが、なんだろう、それを実現したらもちろん駄目だけど、こういう皮肉を言うことまではそんなに間違ってるって思いにくいんだよね。

 

本はしかしそんな下流のことには一切触れず、かつてオオカミがいて人間を襲うこともなく共存していたという話、病で絶滅してしまった歴史。ところどころにある古い神社仏閣、そこに残る若者の演劇や祭りの記憶。かつてあったという金山や、その閉鎖の時に沈められたと伝えられている“おいらん”たちの話。
産業に使われた青梅街道やさらに古い記憶に消えた道、別になぁ、江戸以前にも人はいたんだけどね、という、ちょっと漠然とした歴史の本でしょうか。