「道(1」ものと人間の文化史116、武部健一

すごく正直にこの本に辿り着いたのは明治初期にルートが選定されていた鉄道初期の計画のことを調べていて、まず江戸五街道が基盤にあって、と進み、甲州街道は新設(道自体は前からありますよ)、東海道はルートが変更され、中山道はもともとは東山道と呼ばれていて、という話を聞いているうちに、もう少し情報を入れておくか、と考えたものの、それがどうも律令制、奈良時代の頃、しかもその建造記録自体は残っておらず、正直それ以前の道の技術を考えても渡来系の技術者によって作られたんじゃないのかなぁという現在推測レベルの段階であって、さらに言うと「本格的に研究が進んだのは平成に入ってから」と言われてしまうと、ひょっとしてそれこそ国分寺と府中をつなぐあの例の道?!
と考えてしまったんですが、当たってたみたいです、もともと武蔵国(今の東京+埼玉)が北に位置する東山道に分類されていたものの、国府(府中ね)が遠く、脇道を作っていたものの東海道から行ったほうが楽だよ、てことで所属替えが行われまして。
要するに東山道武蔵国府をつなぐ道が必要なくなった、ということで放棄されたんでしょうね、おかげでかなりいい状態で発掘される、というのはなんとなくわかる。

まず機内5カ国を制定し、他の国を東海・東山・北陸・山陰・山陽・南海・西海の七道それぞれに所属させた、というところを聞くと、今でもぽちぽち概念が残ってるんじゃないかとは思うんですけども、ここで使われていた「七道駅路」が正式名かもうわからない。
この七道駅路はどうも高速道路との相似が指摘されていて、実際、ルートやSAの位置なんてレベルでの合致もあるらしいんですが、あれ、高速道路はこの古代道を全く知らずに作られているので、なんとなく意味はわかるもののやっぱり難しいこれw
しかし、歴史って平成にこんな大きな研究成果があるんだなぁ、すごい。