「道のはなし(2」武部健一

そもそも「道」も「道路」も中国からすでに使われていた言葉らしくて、しかも道と出てくる場合には抽象概念が多く、道路となると完全に物理的な道でしかないという辺りも同じなのでちょっと笑ってしまったんですがw
それが文学や公式文書だけでもなく、現代の映画でまで、となると、文化すら越えてなにか感じるところがあるのかなぁ。
正直もともと高速道路に携わっていて、たまたまかつての国分寺や国府の側を通ることが多いために道の歴史に興味が出た、という経歴の方なので、多分この本の単独執筆の依頼が来た時点で特にこの道と道路の歴史的使われ方などを知っていたというわけでもないとは思うんですが、上の中国との共通点とか、映画などの現代の話になるとご当人の気付いた部分が混ざっているからでしょうね、なかなか面白いな、と考えていたら急にぶっつりと切れて渋滞の数学的分析が始まってしまうんですよね。
しかしある意味、これ自体も試行錯誤の結果だったのかなぁ、前巻の歴史部分とか、高速道路なんかに関してが専門みたいな方だしね。

個人的には後半で語られていた日本の名神高速道路の自然美の美しさに感嘆して、この自然を生かす形で道路が作られなければならない、というところからのドイツの技術の取り入れの経緯ももう少し聞きたかったですし。
それこそナチス時代に大きく進展したアウトバーンなんですが、日本がその技術を見習う機会がなかったことだけは心底残念だと思っていたので(戦前高速道路構想ないし)、すごく嬉しかったんですが、しかしこれ敗戦国同士の戦後だよなぁ、きちんとした仲介がないと資金源的にも難しいと思うんですが、それ自体が理性の証みたいで素敵だよな。