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『岩波講座現代都市政策2-市民参加』

この巻で一番印象的だったのが市民同士の階級が相互に交流がなくなり、不理解が増える、という章だったんですが、これを「全権がないのに全権があると勘違いされる窓口の役人」で例えていたのがわかりやすかったんですが。
多分これ、最近はそこまで数がなく、当時は案外あったのではないかと思うんですが。
すごく大雑把に役人が今ではそこまで力を持っているという存在だと認識されていないということと、ある程度、政府の構造が知られてるって変化があると思うんですが。
要するにその場にいる人物(役人でもいいですし、駅員でもいい、なんなら職業じゃなくてベビーカーを持ってる子持ちの家族とか、妊婦なんかでもいい)に対して極端な不理解の状態にあり、わざと周囲に向けての嫌がらせで「特異な行為」を行なってるという認識にあれば最悪それが暴力という形で現れてしまうのもそこまで不思議なことでもないのではないのか、と思わないでもなかったんですよね。
(これと逆の構造として、かつて「先生」、教育者が特別な力を持っていたのは本当に地域での有力者、インテリだったからで、それが一般の家庭人や主婦と同程度の能力でしかなくなった時にその権力は消失してしまうってのもありましたが、あー、なるほど。)
同じような類の暴力事件が増えるのも、こういう構造で説明されるとすると、ある意味で市民参加自体も政治への関与ってだけとして捉えられてるわけではないんでしょうね。

 

もちろん市民参加は暴走することもあるし、政治のアリバイとして利用されることもある、労働争議で立派な活動をしていても地域問題には冷笑的なこともある。けれど、ただの教育ママが学校を改善しようとし、地域を改善しようとする戦士にもなりうる、という話を聞いてしまうと、うん、だよね。まあまず知ることは知らないよりはマシだよな。