「房総地方史の研究」地方史研究協議会・編

中世の東国の本などを読んでいるとどちらかというと上総下総くらいが「文明の土地」として出てきて周辺の田舎っぷりと対象的に扱われていることがあるような印象なのですが、基本的には食糧倉庫であるというのが近世くらいに至るまでの共通事項として認識していいのかなぁ、土地も肥沃だし、海産物にも山のものにも事欠かない。
ただ、その起伏に飛んだ地形のせいで必ずしも共通意識があるとも言い切れない。
それでもその条件の違う房総半島という単位で一つのものとしてもいいかな、というようなどこか曖昧なところから始まるんですが、とにかく資料がないというか、比較的有力な土地だけあって他所で言及されていることはあるものの単独の資料がない。
江戸の頃になると諸藩が乱立し、直轄地なども作られて、というのはちょうど東西を挟んで江戸の逆の多摩なんかとも似てるんじゃないのかなぁ(あんまり語られてはなかったんですが)。代官の差配能力によって結構土地の状況が変わったりするんですよね。
多摩のほうは結構細々資料が残ってたんですが、あっちは土地柄が饒舌だからなw

九十九里浜の網本と水主との関係は、これは神奈川なんかの古い湊とか銚子なんかでも似たようなものを読んだことがありますが。近世に記録されている人口の極端な減少は、ある程度の推測は行われているものの理由は謎。
確かにちょっとズレた他の土地で起こってないと気候の問題ではなさそうなんだけど、比較的周囲と比べても肥沃なはず、と考えるとどっちにしろ謎だな。
妙見信仰や千葉氏などに関しては土地勘のない人間にはちょっとわからなかったんですが、あくまでも論文集なのでわかる人にはわかるんだろうな、という内容。しかし論文集のわりには外部の人間にさらっと読めるもの多かったな、そしてやっぱり記録少ないね…。