「首都江戸の誕生-大江戸はいかにして造られたのか」大石学

江戸が首都であったと見做していると言うと「そもそも首都とはなんぞや」という疑問が出てくるのはどこの国の歴史を見ていてもわりと当然のことなんですが(君主制であって君主の居住地と政治の中心地が違うケースもままあるし)(アメリカも意外と悩ましい)。
まあ初期の江戸はともかくも、18世紀以降ならば上方との産業風物的な地位も逆転し、わりと自然と国外からの来訪者も江戸を首都と認識していたとか。そもそも初期から徳川幕府江戸城に日本そのものの政治の中心地を置いていたのだとか。
(実際のところ天皇のほうに政治の実権が「返された」のは幕末だわな。)
あと、正直なところもう少し詳しく語って欲しかったんですが、日本橋に江戸五街道の出発点が存在し、日本全土の道がそれを中心に認識されることになった、というのは地味ながらかなり重要じゃなかったんじゃないのかなぁ。
正直なところ海上輸送って重要なんだけどどうしても港単位で点と点で認識されてしまうんですが、道は線とその線を維持するために面として展開していくからなぁ。そしてその街道支配を決定付けたのが2年単位の参勤交代、うーん、やっぱりもうちょっと初っ端に間隔開けておいたほうが良かったような気が、さすがに生活単位でキツいよねそれ。
江戸初期はもうさすがに完全に諸大名の力を削ぐ目的らしいから仕方ないのかなぁ。

着々と広がり続ける江戸の市街地と、それを取り囲むかのようなお鷹場の存在、事実としてなんのために「そこまで厳しく規制があったのか」ということが語られ尽くされてはいないようなんですが(何代もの将軍に渡っているしね)、規模的にも明らかに他の都市を越え、世界でも有数のサイズとなり、今ですら膨張を続けるのが江戸→東京の地だよね。
首都とはなにか、と語り始めたものの、この都市単に「首都」で済まないと思うw