「「神と鬼のヤマト」誕生」新史論/書き替えられた古代史1、関裕二

とりあえずほぼ全面的に受け入れられそうなのが纏向遺跡邪馬台国の有力候補の片割れ)が平和的に形成されたんだと思うんだよね、という部分、これは今までの説も遺跡もきちんと踏まえてて正直わかりやすい。
で、明言されているというほどではなくても邪馬台国の有力候補のもう片割れの北九州説に関しては「もう出先機関そこにあったんじゃないのかなぁ」というのに納得。
なんかちょいちょいつながってる風情はあるよね、実際。

で、どうなのかなぁ、面白くはあるけど、と思ったのが崇神天皇神武天皇が全く逆の意味を持った天皇だったのではないのか、という説。
その上でこの二人を同一人物なのではなく、同時代の存在だったのではないか、という解釈になっていたんですが、仮説としては面白いとは思います。ありえないわけでもないとは思うんだけども、ここで語られてたことで納得するのかというとうーん、微妙。
てか、確かに荒御魂の概念そのものは日本に古来からあるんだけども鬼はすなわち神ということである、と言い切られるとそれもそれでちょっと微妙。
零落した神が鬼と呼ばれることもある、という概念なら結構馴染みがあるんだけどねー、鬼そのものの存在ももうちょっとあとから出て来たような気もするんだよね。
(神話時代に鬼=神、と言い切られると、ううん、近い時代もあるとは思うけど。)
ただ鬼の存在自体はあんまり全体の流れには重要ではないかな、神と呼ばれていても一方的に与えてくれる存在ではないこと自体は有名だしねぇ。
日本書紀』の否定はわりと最近お馴染みなんですが、物部氏の復権も最近の流行りなのかなぁ、ちょくちょく見るんだけど全容がいまいちわかりにくいな。