読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「落日の豊臣政権-秀吉の憂鬱、不穏な京都」河内将芳

とりあえず徳川家康と睨み合いになっていて地震に遭い、みたいな話は聞いていたものの、それが「文禄」から「慶長」に元号が変わった時期というのはちょっと認識していなかったんですが、あれ、そういや慶長年間って豊臣秀吉のほぼ晩年なのか…。
文禄の役があるので文禄は一応認識していたんですが、そういや正確に認識してなかったな、で、この少し前にかつての後継者であった秀次の死、その一族の晒し者にした上での刑死が存在し、聚楽第という京都の中心地にしていたはずの土地の解体。
聚楽第の周りに配置していた有力大名の屋敷を伏見城(これも京都)の周囲に建て直しさせようとしていたのか、し終わったのか、そんな時期の伏見城の大ダメージか。
いずれにしろ文禄が4年でしたっけ、ええと5年しかないのでほとんど全部接近して起こってる出来事なんだよなぁ。
で、地震が起こり、「人毛のようなものが振った」出来事があった、という話も。
慶長ってあれだよな、時々日本刀の切り替え時期みたいに聞くんですが、これが確か太閤検地などとも絡んでいたような記憶なので、晩年近くにまたえらいことやり始めたって認識していいんだろうかこれ。微妙に自信ないけど。

 

そして秀吉や秀次が金をばら撒いた、という記録があり、そのために庶民におけるまで潤った、と言われていたものの、それがいわゆる強制的な高利貸であり、その回収に耐えるためにだいぶ阿漕な商売をしていた、様々な事情による普請が続いたために庶民は疲弊しきり、しかし中には巨額の利益を得ていた商人らもいた、みたいな話も、いまいち覚えがないもののその後の世相を考えるとなんとなく納得。
この回収資金ってひょっとして「文禄の役」に使われたのか、あー…酷いなこれ。