「藤原定家の時代-中世文化の空間」五味文彦

AだBだ、しまいにはCだという架空の人物が出てきてディスカッションを重ねるというスタイルそのものはまあいいとは思うのですが、そのことに関しての言及が全くなかったので不信感に駆られて危うく本を投げるところでした。
で、読み終わってから気付いたんですが五味さんでした。
わかっていればあんなにストレスを溜めなくても済んだのにというのは実に徒労の自業自得なのですが、出来れば少しでいいので断って欲しかったです。後書きで触れられていましたが、同業の執筆者の方たちをモデルにしておられるのですね。
(微妙な守備範囲の違いや、ゴシップ好きなどの傾向があるのは示されてはいたんだけどね、それがモデルありの架空の人物ってわかっていればなぁぁ。)

大雑把に言えば小説である、と断った上での歴史書みたいなものであって、ここでの推論は推論として必ずしも仮説というわけではない、という体裁かな。
一旦仮説を決めてしまわないと全体の仮組みがしにくいんだよね、最近古代史を読むようになってとみに感じていますが、中世でもまだまだ細かいところには大胆な仮説が必要ではあるよね。
で、この本の中ではちょいちょいと書き手が不明である書物の著者を推定する、ということがその架空の人物同士のディスカッションにおいて触れられていまして、そういう、政治とは別の領域に乗り出していく人物たちを描き出している、とも言えるのかなぁ。
私はそもそもこの本を後鳥羽天皇時代の人、ということで手に取ったのですが、見事なまでに裏切られてしまいました、うん、文化サロンの中で政治が決まるような時代ではなくなってしまった、ということそのものが収穫だと思うのが無難なところかな。