『日本古代中世史 '11』#3「飛鳥の王権から律令国家へ」

んーと、この回ではいわゆる飛鳥時代から(時々文化系の歴史で聞く白鳳時代って出てきてたね、あったことは記録に残ってるのにいつからいつまでかの記録がないというなんか不思議な立ち位置の年号ww)持統天皇の作った藤原京まで、という認識でいいのかな、ところで藤原京飛鳥時代でいいんだっけ。
なんかもう、平城京が横に控えていたような…いや違うか、藤原京が手狭になったから平城京を作ったのでは? という説があったんだから少なくともあとに決まってるんだ、手狭になったかどうかは意見が別れてるけど、さすがに時期はこの認識で大丈夫だと思う(たまにこういう正解でもない説で時系列覚えるから叱られたりするんだよ)。
そうじゃなくて平城京を作りながらあちこちに都を複数作ってた聖武天皇がいたんだな、いやこの講義の中では直前までだったんですが、多分直前、多分。
模型を見ている限りでは飛鳥の地と藤原京がいまいち違うように見えなかったんですが、実際あの辺はどうなんだろうなぁ、藤原京が初めての中国の都市を参考にして作られたってところまでは問題なく飲み込んでていいっぽいんですが。
 
大陸と半島との関係もくるくると変わりつつ、とりあえず大陸と半島が手を組んで日本に侵略してくることはなかった! という部分だけは鮮烈に覚えました。今まで全く興味がない出来事だったんですが、あと何度か見ればなんとかなりそうな気がする。
あ、なるほどそういう心配はわりともっともだよねww 半島は日本の手の内知ってるわけだし、なんで来なかったんだかわかりませんが、興味なかったかな…。
大宝律令が出来たり貨幣が出来たり、仏教が渡って来たりみたいな、まあ全体的に概略なんですけどもねー、瓦に言及して欲しい瓦。