『日本古代中世史 '11』#7「平安時代の対外関係と国風文化」

まあまず初っ端から遣唐使やめよっか、という話から始まるわけですが、そもそもその前から疎遠になりつつあったけど、真面目に唐のほうがやばいんでやめておこうかみたいなことになったんじゃなかったっけ(どの道、減少→停止、ではあるよね)。
で、そこから日宋貿易が正式に始まるまでに寺院を媒体にした交流などがぽちぽちと語られていたのですが、これは要するに貿易ではないので違法ではないのかな?
大雑把に言うと唐から宋までの間は統一政権がなくて分立状態なんだよね。
それとあと、当然のことながら密貿易がぽちぽちと。
博多とか鴻臚館のほうの資料見てるとこう、特に貿易が途切れたような気がしないんですよね、なにしろ政体変わってるのに対応変わってないことすらあるし。
基本的に鴻臚館から博多に陶器(時代がわかりやすい)が移る時期があってねー、とか、なぜか窯出ししたあとそのまま運ばれて来てこの地で不良品だと選別されていた器があったね、などとも語られていたんですが。
白磁や青磁なんかは大陸由来で確定だろうけど、物によっては輸出品じゃないかな、さすがに選別なしで海渡るとも思いにくいし。
前に肥前焼(ご近所)の本でもそんなようなこと書いてあったしね。
この辺もあるいは土などから特定出来るんじゃなかったっけか、と思ったんですが、よく考えたらこっちの講義のほうが本よりも前かも、本も研究途上っぽかったしな。

そしてまあ、国内においては浄土宗が発展したり密教天台宗のところに身を寄せていたり、などの仏教関係の出来事が主に語られていました。
あー、平安末期の仏教の進展ってそういう文脈か、次読むものに生かせるかも。