『日本古代中世史 '11』#10「鎌倉幕府と武士の成長」

要するに鎌倉幕府には民衆慰撫(統治? 生活保障? わりと曖昧な意味みたいですが)という発想があったのかななかったのかな、というのが講義のテーマではないかと思うんですが、いやまあ、武士からの忠誠を勝ち得るってのが、幕府においてさすがになかったということはありえないので当然ということで割愛するのですが。
個人的には私はこの辺のテーマに近い話をすでに本で読んだことがあるんじゃないのかなぁ、かつて民衆から為政者に対して求められたのは主に土地境界争いなどを中心にする裁判に関してで、警察力みたいなものはそんなには求められていない、というか、それは武士がその辺にいるだけでそこそこ自然に機能するんじゃないのかなぁ。
治安悪化するとその時点で土地の価値が下がるしね。
いるだけであんまり小悪党は活動しないってのも十分ありそう。

となると、要するにここで語られていたのは裁判権の行使をしていたのかどうかみたいな話になるんじゃないのかなぁ、みたいな結論になるんですが。
残念なことにもともとの概念の中にそういう発想はなさそうなんだよね。
私の見た本の中ではその裁判を引き受けていたのは主に寺だったんですが(本当に鎌倉で同時代くらいの話ですよ、なんで寺に持ち込まれたのかは不明ってことになってましたが)、神社が扱ってたことなんてのもあるんじゃないのかな。
最初から民衆を治めるつもりがどうの、というのも荘園という単位だと別に普通のことでもあるし、幕府ったってこれが初めてのものだしなぁ。
語られていた概念は具体的にこの辺の機能がどうなっていたのかというアプローチにして欲しかったですかも、後世の概念の当て嵌めになっちゃってるよね。