『日本の美術98 室町彫刻』上原昭一・編

で、ここで彫刻に関してのシリーズはどうやら終わるようなのですが、大雑把に正確な時代区分というよりも今で言うところの判子絵めいた、ほぼ同じ規格の仏像が頻出するようになった時期以降が主に取り扱われていた、と言ったところでしょうか。
確かに申し訳ないながら、一つずつは結構綺麗なんですけども、並べてみるとまるでフォーマットでも存在しているかのようにそっくりなんでちょっと不気味だったかも。
あくまで彫刻のはずで、型取りされているわけでもないはずなので、なぜあそこまで似通っているのか、どうやって作っていたのかのほうが気になっちゃったよ。
本の中でも触れられていたように、奈良にいたという素人仏師たちのほうがいい作品が多い、と言われていたんですが、素人が見てもそんな感じだなぁ。
類型化そのものにはパトロンである古い仏教の存在があり、個人の依頼である場合にどうしても大型の作品を作るというわけにも行かなかった、というのもわからないでもものの、というような論調でした。
まあなぁ、素人仏師たちが少ない材料ながらなんとか工夫してるのを見るとね。
基本的に芸術分野での嘆きには同調出来ないことが多く、この一連のシリーズを読んでいてもちょっと大仰な言い方をしているような、と思っていたものの、実際に「末世」として捉えられている時代に到達した仏像群を見ていると、うん、大量生産品…。

 

そもそも仏師の係累である円派院派の没落というところと、ぎりぎりと古風を残した奈良の慶派という語られ方をしていたんですが、今までのシリーズを考えると依頼主の希望を聞いて、それが世に受ける作風だった、と考えると、まるで現代。ううん。
むしろ現代の仏師の作品なんてのも見たくなってしまいました、面白かった。