「戦国の交渉人-外交僧・安国寺恵瓊の知られざる生涯」歴史新書y020、渡邊大門

戦国の交渉人 (歴史新書y)

戦国の交渉人 (歴史新書y)

 

 このタイトルに書かれている「外交僧」というのが一定の機能としてそういう人たちが複数存在しているものの、実際の地位や用語が存在するわけではないんだよ、と語られていたものだったかな。
実際こう、ちまちまいますよね、最近はたまに描写されているのを見ることが。
そもそも僧侶であるということで(寺院が事実上の教育機関として存在しているため)教養があり、他国との行き来が比較的容易であり、中立的立場が望みやすいってことで、誰にとってもありがたかったんじゃないのかなぁ。
あれだよな、他所の国からの伝令兵ならともかく、自分の所属寺院を持っている高僧が交渉に来た時点で切り捨てることもなかったろうしなぁ。
軍師のような立場の僧侶なども名前が挙げられていたんですが、要するにあれも家庭教師のようなところからのシフトじゃないのかな。オブザーバーというか。
 
毛利家の交渉人として信長死後直後の秀吉との間の和平工作を担当し(信長の死を毛利側は知らなかったのではないか、というあれだよなぁ、あとから考えるともう少しマシな条件を引き出せたのでは、という感覚もわからないわけでもない)。
その後も豊臣政権を支える立場としての毛利家に随行し。
最終的には関ヶ原の戦いにて主犯格として石田光成、小石行長と共に処刑されたという人物なのだそうですが、うん、どう見ても毛利家に反する行動はしてない。
ただまあ、その後の扱いが悪くなったところまではわからないでもないかなぁ。
しかし妖僧だの阿諛追従だのは完全に不当な言いがかりだよな、毛利家よりもいい条件の家ももちろんあったけど…国力が段違いだよ。同格の家はあんまり残ってないし…。