「水戸学と明治維新」歴史文化ライブラリー150、吉田俊純

まあ水戸学が教育勅語と結びついていると言われ(そこまでは純然たる事実なんだろうとは思う、全く同じではないにしろ)、そして実際の日本が辿った歴史と教育勅語を思い浮かべ、水戸学を絶賛した人たちを考えればまあ、うん、インテリ勢が嫌い抜くところまでは理解出来るんだけどね、というのには納得と同意。
ただその行為そのものが臭い物に蓋をしているのではないか、きちんと事態を直視することなく研究すらしない状態で本当に戦争を反省していると言えるのか、みたいなところにも同意です、なんとなく思考放棄というか、関わらなければ美しくあれるみたいなアピールめいて感じることもあるよね。
ただ個人的には、賛美してた層が嫌いだから物理的に思い出したくないという態度までは責めたくないんですけどね、嫌なものは嫌だよね、現実の生活に関わってるとね…。
 
水戸学というのは実際空論めいた側面があって、実践しようとするとどうしても無理があるというのはわりとまあ、共通した印象なんじゃないかと思うんですが、んー、そもそも水戸光圀さんの時代に端を発してるんだよねこれ?
そうするとどうもそもそも歪んで成立していた節のある水戸藩そのものにその理由の一環があるのかなぁ、みたいに私には思えてしまうんですが、だいたいそのままの形で江戸時代を通して存在し、一応の発展をし、幕末の頃にはこの中から藤田東湖という人物が表れて彼の場合は実践に至ったんだよね。
この人はどうも農民に対しての不信感があったらしいことが文章からは伺えるようなんですが、でも、実際に改革を進める段階ではちょっとずつそこが現実的な路線になっていったところもある、この人が実際に水戸学を主導してたらねぇ、時代変わったのかな?