『日本の美術466 山岳信仰の美術-出羽三山』原田昌幸

山岳信仰の熊野、出羽三山、日光と続く2冊めなんですが。
今の時点でそれぞれの本のつながりは特にないんじゃないかな、とにかく時代や関わる範囲が広いので、いまいちぼんやりしている部分も多いよね。
というより正直まだちょっと、山岳信仰出羽三山の場合は修験道と認識していいのかな? 神仏習合という意味合いはいまいち薄いよね、熊野と違って)に関してはまとまってない部分があるのかなぁ、というのが読み終わっての雑感。
まあただ、東北の地と近畿の関係みたいなものが仄見えていたりとか、信仰が関東広域の分布がありそうだったりと、うん、どうしてもいままだ研究模索中みたいな言い回しになってますが、春日神社の黒川能なんかは結構はっきりと残ってるみたいだしなぁ。
(今では能楽では廃れてしまった演目がある、と言われてましたが、逆に言うとどの時期にこの出羽の地に来て、いつ頃交流が途絶えたのかってのもわかるよね、まあ、交流が続いていても独自色が残っていてもいいようにも思いますけども。)
なんでこの地に来ていたのかという部分での研究なり、やりようはあるような。
 
この本の中で触れられていた、神社の中の大量の鏡が沈められていた? もしくは沈んでしまったのかもしれないという出来事に関しては、全体の内容からそこまで記録がなくなってしまったとか、過去の行事が失われて来たような印象がなかったのでちょっとびっくりしてしまったんですが。
あるいはなんかの民間宗教の類だったのかなぁ、いやでもそれをわざわざ山の上の神社に投擲するってのもなんとなく変な話だし。
そもそも鏡に統一性があるとも言われているし、なんかの流行でもあったのかしら?