『法然』別冊太陽・日本のこころ178

鎌倉新仏教の祖、もしくは最初の一人と言われ弟子の親鸞浄土真宗)よりは地味なんじゃないのかなー、と言われているという法然さんは、なかなかどうしてその背景事情のようなものが面白いんじゃないかなと思うんですが。
この本の中でも当然のように触れられていた東大寺大勧進の重源と、九条兼実、どちらも多分当時は新興勢力の一つであって、鎌倉幕府との関係も強いんですよねこの辺。
ただ、たまに言われているように法然さんが鎌倉新仏教の生まれる土壌となったのではないか、というのは半分賛成で半分反対ですかも。
この本の中で出て来た黒谷なんて土地もそうなんですが、わりとこう、民間向けの土着信仰めいた集団はすでにいろいろあったみたいだよね(念仏集団と呼ばれてましたが)。
で、どうもそこに飛び込んだ法然さんは仏教の正規教育を受けてその集団に加盟した初めての人だったんじゃないのかなー、と。
法然さんの弟子から新宗派が次々現れたみたいな言われ方してますが、それ以前からなんかしらの宗教集団みたいなものはすでにいて、それはほとんど記録に残るほど確固としてものではなかっただけなんじゃないのかなと読みながらぽちぽち。
そもそも教えを受けた師匠そのものがいないって言われてるわりには、ずっと同じ人の元にいる辺りを考えても、その人には教えを行う素地そのものがなくて、習っていたのは主に民衆との関わり方みたいな部分だったんじゃないのかなってそんなふうにも。
 
そういう人が重源とか九条兼実とか若干アクの強めの人物や、鎌倉幕府とつながっていたんだとしたらちょっと面白いんじゃないかと思うんですが、この辺どうなんだろうね。
悪人往生って本筋じゃないところで揉めてて、そこにページ割かれてて勿体ないな。