「法然親鸞一遍」釈徹宗

法然はまず最初に出て来た浄土宗の祖で、当時は法然集団とか浄土信仰などとも呼ばれていたらしく、その中の最大派閥が親鸞浄土真宗
一番異端だとされていたのが踊り念仏などでも名前を知られた時宗の一遍。
とのことなんですが、法然が行っていた民衆慰撫の動きに関しては親鸞はあまり馴染みがなく、その作用については一遍が受け継いでいたのではないか、という意見に賛同。
確かに、法然さんって思想的には地味とかなんとか言われてますけども、どんな人に対しても門戸を開いてたって時点でだいぶそれ以前と比べて特殊って気もするよね。
 
そしてそもそも、法然さんのことを仏教思想史の観点から語る人はその師がまともにいなかった、という形で語っているんですが、同じ人のもとにずっといるんだよね。
まあ、その人自体が知られてないっちゃあ知られてないんですが。
要するに思想関係においてはその師を超えてしまった、むしろ法然が理論部分を作り上げていったのかもしれないものの、彼が生涯行っていた民衆との関わりの部分や、念仏集団としての実践(黒谷って京都の地名がちょいちょい出てきますが)に関しては、普通に師匠さんから教わったことの実践だったんじゃないのかなー、と思うんだけどどうなんだろう。
この本では法然さんが始めたことを一遍が実践したというような流れとしていたんですが、当時の評価とか見てても法然さんが始めたとは限らんという気もします。
あと最近、この辺の浄土信仰系の本を読んでいて思うのはやっぱり若干皆口が悪いかな! という部分なんですが、なんとなくそちらに関しては納得し始めてきました。
単純に皆わりと本音で語るんだわ、浄土信仰以前の平安末期くらいの仏教の側面みたいな本も出来れば読みたいなぁ、一遍さんが継いだのってそれもある気がする。