『日本の美術22 茶道具』藤岡了一・編

あくまで取り扱われていたのは茶道具という物に関しての歴史なんですが、最近時々「侘茶の創設者」と言われていて、若干ぴりぴりしていた千利休さんの扱いに関して、まあ、それ自体を認めるつもりはないものの、ある程度理解出来ないでもないかなー、という気持ちになって来ないでもないんだよね。
侘茶そのものは東山文化の中で生まれているので(応仁の乱の前後くらいと考えるとわかりやすいかなと、で、千利休は戦国時代)、その単語を使われるとうーん、と言うしかないんですがどうにも。
まあただ、やっぱり今に至るまで続く茶道っていう精神を作ったのは利休さんなのかなぁ、茶釜を鉄の観点から分析した方などによると、道具のシンプル化という傾向そのものは利休さん以前からあったみたいなんだけどもね。
なんと言っても庶民向けにしたってのはさすがに彼だしなぁ。
というか、なんかちょっと逆説的な言い方になってしまうと思うんですが、庶民化と豪勢な茶室だの茶道具だのとか、凝った傾向だとか、その反動のシンプル化などって裏表の関係にあるというか、好事家だけが参加してる時にはあんまり起こらない傾向だよね。
いや、庶民が扱えるほどに安価な道具があるってのはわかるんですよ。
が、それだからこそ豪勢なものや、独特の価値のある茶道具も同時に生まれてるような気もするんだよね、茶道具以前に価値がある大陸由来の茶碗なんてのはまた別としてね(その辺はもう東山御物などの域だし、要は足利将軍由来)。
 
しかしまあ、利休さんがそこらの道具でいいよ、普通の御飯茶碗でいいよ、というのが価値を釣り上げたというのはなんかこう、皮肉ってほどでもないかな。難しいね。