『権力の館を考える '16』#9「軽井沢の館」

この回で語られていたことへの理解がちょっと薄ぼんやりしたものの、もう一つのところでぐたぐたとまとめていたらなんとなくはわかったかな? 要するにあれ、軽井沢という土地にどれだけ政治家が集まって、ついにはそこで「終戦工作」が行われた、そして戦局が進む中でさらにここから逃げる用意をしていた、という冒頭の辺りで語られていたことを思い出すと重要なのは距離ってことだよね、多分。
そもそも日本には東日本と西日本を結ぶためのルート、分厚い山脈を越える地点は二箇所しかないということが語られていることがあるんですが、そのうちの鉄道ルートの一本である中央本線とも連なった軽井沢、観光地として早いうちから整備され、東京から近いとも言えず、ただしいざとなったらば移動することも不可能ではないというぎりぎりの地点だったということなのかもしれないなぁ…。
一応まあ、この土地がかつて静かな土地であって、一時の観光地としての賑わいがあったもののまた静かな土地へと戻ろうとしているという形で触れられていたものの、その土地の来歴そのものは特に重要とは思ってなさそうだったしなぁ。
 
というか権力者という括りではなかったので特に語られてはいなかったものの、細川邸の隣にあったという徳川の別荘には一体どなたがいたってことなんだろうw
それと山の上のほうには引退した政治家たち、かつての重鎮が。
平地の奥の別荘の持ち主の名前で呼ばれている木立の通りなどがざっくばらんと紹介されていて、この地にも外交使節が来たことがあるんだよー、と言われてたんですが、確かにほとんど一部の地元住人と政治家しかいなさそうな立地だよなぁこれ。
が、かつての終戦工作の痕跡も、この土地は特に大したこととして扱ってないのか。