「寺社と芸能の中世」日本史リブレット080、安田次郎

猿楽に関してはこの本で語られているよりも少し前に独立し(形としてはもう少し前からあったろうけども、専門特化したのはこのちょっと前だよね確か)、この少しあとになると足利将軍などを筆頭に貴族の庇護を得つつ大衆化していったよ、ということのはずなので、個人的にはもう少し前の時代から触れていてくれると良かったのですが、興福寺(と春日社って出てきてたっけ? 言及されてはいたんだけど記憶に薄い)の院同士が争い、それぞれの猿楽の座のどれを贔屓するのかということでしばしば寺そのものの財政を食い荒らした、という形で語られていて、正直前後が抜けているなぁ、という気もしないでもなかったものの、要するにこのあとは採算に関しても独立していき。
一つの貴族の家によって継承されていた院同士が争った、という言及をされているからにはそれぞれの家と猿楽の座との成り立ちが関わりがあったとみるのが妥当っていう認識でいいんじゃないのかなぁ。
好みが別れたということでここまで深く争わないだろうしなぁ、普通。
それがどの程度の関係だったのか、それこそ親類で構成されていたのかということはよくわからないながら、そもそも大寺の院そのものが貴族の家を継げない子弟の入れ物という話だったし、そこからさらに零れる人たちがいることにもそこまで違和感はないよね。
(芸能者が地位を低下させていくのはこの後の時代で、まだこの時期は卑賎だなんだという発想はないようです、リブレット関係でもその辺触れてなかったっけか。)
 
ということを考えるとそういや世阿弥を連れまわしていた足利3代将軍の存在などがあり、特筆されたり若干の悪意はあったらしいものの、そこまで問題視されてもなかったらしいしなぁ、あるいは猿楽もそういう存在ってこともありえるのかしら。