『権力の館を考える '16』#11「関西の館(2 紫宸殿・清涼殿」

ところでこの回はだいぶ斜めな感じで聞いているので間違えていたらだいぶ申し訳ないのですが、とりあえず建築の方が「江戸時代に西洋のルネサンス、当時のワシントンでも存在した復古調の流れが日本の京都でもあったんですよー」みたいなテーマだったんですが、武士の方を無視してしまうことになるので申し訳ないですかね? と言い出していたんですが御厨さんにいいんじゃないっすか? とばっさりと返されてまして。
私も多分武士系の血筋ですけどもいいんじゃないかと思います、だって特に返るような時代もないしねぇ? ないんだったら気にしなくてもいいと思うんですけどね。
ただ、建築研究の人って上品だよなぁ、とは正直感心してましたがw
 
そもそもこの話は平安神社から始まりまして、幕末だっけ? いや違うな内国博覧会だから明治か、その時に作られたパビリオンが元になっているようで、ただ、意外とちゃんとした資料に基づいているんだよー、ということが語られまして。
その資料となったのが上で触れている江戸時代の平安復古の流れ、そもそも王政復古を唱えていた学者の流れが朝廷のほうでまず存在し、そこに連座した学者が存在、その学者が30年後、建築によって成し遂げたのが平安建築だった、というような展開だったのですが「幕府がもし建築に力があると思ってたら、建築も咎められたと思うんですよね、ところがどうも建築費用くらいしか気にしてなかった気がするのです」みたいなことを言っておられまして、建築の研究者としては咎められていて欲しかったって言っておられました、なんか可愛いこと言われてますな、とだけ思いました!
そしてそもそも復古の気概は近代意識の始まりなのではないかと語られていたんですが、あ、あー、それは面白いかも。アイデンティティの確立か、面白いな?