「人道的介入−正義の武力行使はあるか」最上敏樹

とりあえず国連・安全保障理事会で裁可して送られるPKO(平和維持軍)はそもそもこの本で語られている“人道的介入”の例にはならないのだというのですが、それは曲がりなりにも国連が、国の主権よりも、上位とは言わないけど越えたところに存在しているからと解釈されることによるようです。
というかむしろ、この議論が出てきたのは「他国への侵略禁止」という前提が出来、それが広まったあと、じゃあ、とある国の中で強権的な政府などによってその国民が虐げられていた場合はどうするの? という問題が出てきたということになるようです。
国の主権が尊重されるのか、それとも個々の人権が尊重されるのかと。


で、問題は人権のため、と称しての侵略(とまでは行かなくても利益の出る行為)が行なわれてしまうことや、さてそもそも正統な政府ってどこだっけ、と首を傾げてしまうような複雑な状況によるものです(ぶっちゃけると大国同士で認めてる政府が違う例)。
その国内からの要請に寄ったんだよ! といってなお当てにならないという。
お前らいい加減にせいよ状態です、んであんまり頼りにならないと評判の国連が、ことこの件で事実上問題視されてないのは立場の違いもあるでしょうが、もともと独自の軍を持ってない上に安保理に“拒否権”があるので大国の利害が絡まないところにしかそもそも派兵が難しいという現状があるせいかと思います。それでも問題は皆無ではないですが。
(国連の場合は主に「対処足りねぇ!」という矢面には立たされてました。)
じゃあまず、どうするのか、という話の例えとされていたのが主にユーゴスラヴィア
ここは、利害の問題ではなく、どのような対処をされていたのか、ということが主に語られていたんですが、結局、なにが正義なのかという本質論なんでしょうか。