「武装解除−紛争屋が見た世界」伊勢崎賢治

別にそれが悪いとは言わないんですが(だってそのくらいの精神的メリットくらいあってもいいよなぁ)、少し離れて乾いた視点の“東チモール”は読みやすかったんですが「僕の県」「僕の」と頻発する“シレラレオネ”は些か読みにくく。
(だって前の章で非難してたのってこの系統の感情だよね;)(種の保存倉庫くらいを誇らしげに残ってた! と表明するくらいなら一緒に喜べたよ、でもクドい...orz)


やっぱり本領はアフガニスタンじゃないんでしょうか、いや、活動ではなくて執筆の、通称DDRというのは武装解除・動員解除・社会再統合の三つの働きからなる紛争停止の方法の一つで筆者さんが担当していた分野、なんとなく引き摺られて日本が公式に支援することになってましたが、疎いなぁ、、、いや、人のことは言えませんが専門家だろ。
紛争が終わっても民兵たちが武器を捨てないのは自分の身が危ういからで、まず身の安全を(もっと大きな兵力でもって)保障するしかなく、適当な武器を兵士でもなんでもない人間が差し出してきて報酬だけを得ようとするのを防がなくてはならず(下手をするとゲリラの資金源に)。兵士としてまた戻ることのないように、雇用を考えてやろうにも、一般人の職がない状態でそんなことをしたら兵士「だけ」が得になる、というとんでもない状態が出来上がるためにそういうわけにも行かず。
そんな苦悩の中、一般兵士ならともかく、ゲリラの親玉を褒めちぎって副大統領に据えて紛争を「解決」した国があるわけですが。まあ何万人もの民間人も殺されているらしく、なんでまた三千人くらいの仇を取るために戦争を? と当地の人たちは911テロルの時に大変に冷笑的だったようですが、酷いと言ったら私が酷い人だなこりゃ。
ところで平和ってなんだっけ? と読み終わると正直しばし忘れています。