「貿易摩擦の社会学:イギリスと日本」R.P.ドーア

むしろ“貿易摩擦”そのもののことよりも、その摩擦そのものを入り口にして、日本とイギリスの企業の在り方を主に語り、「まあ良いものではないかと思うけども」著者さんの国、イギリスで導入するには「ちょっと世界一高く付くかもね」という結論に至り。
確かに日本人の部下は礼儀正しいけども、わりと頻繁に上司に(丁寧に)意見を言うし。
上司も上司で部下に簡単には立場を侵されない、という自信のためか、割合と部下の態度に鷹揚に構えていられるわけなのだし、自由がなんでもかんでもいいってもんでもないよね、というようなことを言ってらしたんですが。
まあ、イギリス流のその場では多少の批判をしたところで、実際にそれほど深く引き摺っているわけではない、というのも悪いものではないような気もします(お返し)。
なんでそう言い切るかというと、言葉の裏の意味を子どもの頃から読むことを要求される日本人だからではないかと思われます。まあ、イギリスとは真逆の意味かもしれませんが。


もともと貿易摩擦、というのはなにも対象相手国の自動車をテレビカメラの前で叩き壊すことではなく(by日米貿易摩擦、別に特に根に持ってるわけではなくて、記憶に残っています)、相手の国の自国とは異質の部分に対し、どうしても反発が起こることが問題になるのかな、という気もするのですが。
基本的にこの対イギリス間の貿易黒字の時もそうだったんですが、日本からイギリスへと資本が流入し(自然にそうなります)、そのことによって感情的反発が起こり、日本の制度そのものへの批判が当時の新聞にも掲載されたよ、ということもありまして。
その当時にしてからが、そりゃないでしょ、と反論して下さっていた模様。
まあ、口の悪さは特に気になされなくていいと思います、言葉の裏はわかりますとも。