『世界遺産』#534 オルホン渓谷の文化的景観(モンゴル)

オルホン渓谷−Wikipedia


地域ぐるみ、というと他に日本の京都が思い浮かびますし。
その遺跡に複数の物(民族もしくは文化が違うものも含め)が同時に登録されている、というのもいくらかこの番組で紹介されていたように思いますが、この回は正直ちょっと「なに」が遺産としての意義なのかがわかにくかったように思えるのですが。
うーん、大雑把に、その地を通り過ぎた遊牧民たちの歴史、といったところかしら。


もともと彼らは組み立て式の住居を持っていて建築物を持たず。
チンギス・ハンのモンゴル帝国の時代、あれだけ巨大な版図を誇っていても、権力を誇示する巨大建築物、というような思想はなかったようで(ああ、そういや。いろいろ細かい掟とかあるからねぇ、もともと、権力はどっちかというと態度で示すって感じかも)。
この地は首都カラコルムだったのにも関らず、今は痕跡がほとんど残っていないらしく。まあもちろん、5代目の時の遷都、その後の中国側の巻き返しで土地が取り返され、チベット仏教の寺院が入ってきて資材を使い。
その後さらに、チンギス・ハンに略奪者のイメージしか持たない、北の地域、ソ連の支配下にあった時には遊牧生活すら禁じられてしまったとか、いろいろ要因もありますが。
本気で石碑しか出てこなかったような(都市跡はもっと以前の突厥のもの)。
「保護」の名目の元とはいえ、遊牧民族が元気よく暮らしているのだからそれでよしとすべきなのか。遊牧民は比較的古い文化と文明との折り合い上手い気もしますね。
2004年、文化遺産として登録されることになりました。