『世界遺産』#543 ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々(イタリア)

ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々−Wikipedia


1693年1月9日及び11日に発生した地震により、シチリア島東南部の街が壊滅し。
約9万人の犠牲を出し。「復興を!」と言って造ったのがシチリア・バロック様式の街並みっつーのはイタリア人てのは頭の捩子でも外れてるんですか一体。
ねぇ、なんで柱の先に顔とか人魚とか、神話のモチーフとかあるの。
イタリア全土から陶器作りの職人が集められ、階段一枚一枚に貼り付けるためのタイルに絵ぇ描いてたらしいですよ。復興支援は素晴らしいと思いますが集めるべきは彼らだったんでしょうか、本当にそうなんですか。


そして、なんか書いてるうちにそれで正しいような気がしてくるから困ります...orz
イタリアってどーにも全体的にそういうところあるよね;
ただし、荘厳で見上げるような教会と見せ掛けて、実はそれは正面だけ! というような小細工はないでもなかったです。実は二階建て。まあ確かに建築費用がその高さで建てるよりはあれですね、安上がりですね。でもそれが復興とし(ry


番組の後半熱烈に崇められていた聖女アガタは、美貌に目ぇ付けられて強引に迫ってきた権力者を振っちゃったら娼館に売り払われ、しまいにゃ拷問され、乳房を抉られて、それでも誇りを失わず、火に放り込まれ殉教したのだという方です(つーか権力者しつけぇ)。
大変立派な方と思いますが、、、何故に盛大に祭るのですかシチリア島。ねぇ?!
毎年一度しか会えないので、すごく楽しみにしているのだそうです。