『美の巨人たち』谷 文晁「富士山図屏風」(日本)

谷文晁−Wikipedia
(1763.10/15−1841.01/06)


ワイロ政治を行っていたのだという田沼意次氏(でも海外では再評価されたりもしてます)とセットで語られる、倹約令“寛政の改革”で知られる松平定信さんのお抱え絵師。言っちゃ悪いが殿さまの意図がたまに掴めません。
ある日、文晁さんを呼び寄せ、山のような白屏風に富士山を描かせ。
江戸中にバラ撒いて絵の注文を取ったそーですよ。


それは紛うことなきプロデュースとお見受けいたしますが。
なんで将軍職を退いた後とはいえ、んなことやってんのかよくわかりません。つーか、倹約令の人なんじゃねぇのかよこの人。庶民の生活まで締めに締めに締め付け。
芝居絵やら服や間食まで口出してたのになんなんだ。


とにかくまあ、国中廻って骨董品を書き写して来いだ、土地を描けだ、なにを言い出すんだかいまいち掴めないお殿様と一緒で「自由がなかった」と思っていたのだと説明されてましたが、晩年おたまじゃくしを飼って、壷を飛び出して来るのを楽しみに待っていたというので楽しいこともあったんじゃないでしょうか。
その主も先に逝き。“手も足もない”おたまじゃくしを飼い。
大量の弟子に大量の金貨、江戸一番ともいわれる名声に。弟子思いで酒浸り。
型に捉われないとの評価があるそうですが。型でもいいじゃんな。