「昭和八年 澁谷驛」宮脇俊三

大雑把に昭和一桁生まれ、でいいんだっけ? まあ、大正と昭和の狭間のような時期に生まれた方の渋谷駅(概ねこの駅関係の沿線に住んでらしたみたいですね、ちょっとわかりにくかったけど、お父さんが国会議員だったって認識でいいのかな?)を中心にしたかつての思い出、という形式なんですが。
どっちかというと当時の情景そのものの印象のほうが強いかなぁ。
鉄道好きって当人が言ってはおられるんですが、この時代背景の中で鉄道に興味が向くのはある程度は当たり前だって気もしないでもないんですよね。そもそも路線が延びてきて自分のところにやってきて、それとともに行動圏が広がる。
その頃の記憶を有しているかいないかという意味だと鉄道好きかどうかは別れるんでしょうが、この当時はほとんどの男の子が似たような感慨を持っていたんじゃないのかなぁ。出来てそんなに歳月が経っていない地下鉄がある日渋谷まで路線を延ばしてきて、それが3階駅だった、なんて事情は子どもでなくても興味深いよなw
当時の移動手段として市電とか、バスとか円タクなどが語られてはいるのですが、それがどの程度の使用頻度だったかというのはちょっといまいちわからない。
著者さんの家庭は曲がりなりにも上流階級ですしね。
時期によってはそれほどでもないですし、子どものお小遣いを4日分貯めてでも電車に乗りに行ったよ! なんて話はわかりやすかったんですけどね。


皇族に関係する土地での市電でのお辞儀、兵隊さんたちに「書かなくてはならなかった」激励の言葉。書いてはならないことを書いても、書いてしまうと危ないよ、という子ども相手への含みとか、知っているようで知らない時代の記憶でしょうか。