「英仏百年戦争」佐藤賢一

イギリス側の“英雄”、黒太子エドワードは名前だけ。フランス側の“救世主”であるジャンヌ・ダルクはもちろん知ってはいたんですが、どうも民間で伝わっている話が有名になったのはずっとあとのナポレオンの時代なのだとか。
んで、当のタイトルの「英仏百年戦争」にしてからが、やっぱりその概念が登場したのはずっとあと、ほとんど近代に近い頃、イギリス対フランス、と順序まで変わっているのですがもとはフランス人であった王家同士の、ある意味で内輪揉めに近い内容で。
「イギリス」という国はまだ影も形もなく、イングランドという一地方が近隣の地方を吸収し一つの国という体裁を整えたのすら、そのフランス人王家が成したこと、となるともう一体どことどこが戦っていたのかも判然としない状況。
筆者さんの出された結論から逆に辿ると、「むしろこの戦争によってイギリスという国と、フランスという国が誕生したのではないか」。戦争が始まった時点での二大勢力(とすら言えない状況が)が少しずつ周囲を巻き込み、戦争によって二つのまとまりに徐々になっていった、ということのようです(そして民衆出身のジャンヌさんはそれこそ、フランスという国を認知し始めた頃の人ではないのかな、とも)。
で、百年くらいあとのシェイクスピアの戯曲は、両王家の停戦条約で筆を置き、イングランドの優勢と演出。ずっと後の概念である“百年戦争”はその後、フランス側に救世主ジャンヌ・ダルクが出たところでフランスの勝利、としてその戦争を解釈したのだとか。


筆者さんはシェイクスピアは「現在」の教科書とは違いはするものの、はて、その百年の区切りってそもそも絶対かしら? という疑問を投げかけ。もしかしたらまた新しい概念がそろそろ登場してもいいのではないか、と本を締めているわけですよ。