「双頭の鷲(上」佐藤賢一

正直なところナショナリズムの台頭はあれど、「この」流れとはあまり関係のないところから生まれてきたというか、この“百年戦争”そのものがむしろ両国民に“イギリス”(というかイングランドですが)、“フランス”の意識を生じさせたのかもしれないねぇ、というのはこの作者さんが書いた別の本の話ですが。
ことを王家に限っていうと、もともとフランス王家(これも実は正確な言い方ではないわけですが)の分家だったイングランド王家が、主家が一旦途絶えた時、自分たちこそが正統な血筋である、と主張してフランスの王権を要求した、というのがこの百年戦争
そして作中でも語られてますが、その主張はもっともなのだそうですよ。
いや、国の法典≪サリカ法典≫によって女王は認められていないんですが、女系の子孫まで駄目、とはそもそも全く書いていないという(女系が駄目な国もございます)。
つまりこう、そもそも後世の人間が見ての単純な「イギリスとフランスの戦争」という認識すら怪しいという大前提があって、まあ、その辺がある程度でも入ってないとなかなかなか理解しずらいかもなぁ、という時代背景なんですが。


そこさえなんとか越えてしまうと、これがかなり面白いのではないかと。
要は母親に極端に蔑ろにされたために、いくら田舎貴族だからといって全くフランス全土に蔓延していた騎士道精神とやらに侵されず、喧嘩の強さ、生来の勘の強さによって無類の戦争の強さを誇るベルトラン・デュ・ゲクランと。
生来の病弱はあるものの、ある意味で学問にのめり込み過ぎて一線ぶっ千切れてる感のないでもない学者殿下であるところの皇太子シャルルが偶然にも出会い。
割れ鍋に綴じ蓋ってあれですよね、幸福な人間関係の基本だよね、としみじみと。