『世界遺産』#573 サマルカンド─文化交差路(ウズベキスタン)

サマルカンド−Wikipedia


そもそも私、イスラムが建築を好む理由ってのがとんとわからず、いや、現物が残っているので疑う余地はないんですがその理由が語られているところも見たことがないんですよ。宗教としてはホントに初期しかきちんと読んでないからかなぁ。
で、今回、各地から建築家を集めてきて、各種建築を建てさせていたんだよ、ということ聞いて、ああそうか、そのためか! とか思わず早合点しそうになりましたが、色も建築様式も微妙に知っているイスラム建築のものと違い、よく考えたら最初期、現在のイスラエルにも遺跡が残ってるってことはほとんど初期から建築好きなはずで。。。
よく調べてみたら600年前の話でした、えーと、15世紀? だよな。


“文化交差路”という説明と大雑把な位置関係から東西交通路? と思ったんですが、どうも遊牧民から歴々と陣地合戦が繰り広げられていたようですね、迷惑な;
15世紀のティムール帝国(恐ろしいことに人名、人名を冠した帝国名珍しい;)のティムールさんが要するにこの都市に余所から建築家を連れてきちゃあ建物造らせていたそうですが、ペルシャ系の建築物に土地の鉱物である青い色が欲しかったのかもなぁ。
で、勘違いとはいえ、ここの技術からのちのイスラーム建築は発展したそうな。
というか、“奪い合われて”いた美しい都市、と考えたほうが近いのか。
青い建築と、空の青さから「青の都」と呼ばれているらしく。そういや、イスラム建築ってのも他文化圏にもよく残ってますが、住むところではなく「見るもの」かなぁ。
2001年、文化遺産登録がされました。ちーと罪深い都市かw