『美の巨人たち』川端龍子「鳴門」(日本)

川端龍子−Wikipedia
(1885.06/06−1966.04/10)


アメリカのボストンに絵画の勉強をしに行ったらば、その仲介をしてくれるはずの人に騙されて(酷いことを;)、ふらふらととりあえず美術館だけでも見て帰るか、という彼が出会ったのは日本画の絵巻き物、遠回りだという気がまるでしないでもないものの、近代への移行期に日本の美術品が海外流出したのは有名な話だからなぁ。
そして日本人は洋画を持てはやしたということなので(そして光の強い欧州の描き方と日本の題材合わねぇよー! と嘆く人をぽちぽち量産しましたねぇ)、ある意味で自力で帰ってこれた龍子さんはまだ良かったのかもしれません。お帰り。
で、彼は日本画壇に入ったものの「お座敷で好事家に愛でられるだけなんて嫌じゃー」と出奔してしまい(もちろん作品がですとも、なんで語弊ある表現するの)、でも洋画には壁画ってジャンルがあるけど日本はせいぜい屏風絵だよねぇ、と思っていたら巨大屏風絵を、当初計画していたよりもスケールでかくして描きました。
なんでも喧嘩売って出てきたばかりだったので勢いがちょっとありすぎたようです。
まあ、海と鳴門(渦巻きっすよ、わりと有名よね)なので広げるつもりならいくらでも広げられるとは思いますが、そして作品は迫力あるいい出来だとは思いますが。
しかし美術館というのは絵画を収蔵するスペースをかならず持ち(あと修復なんてのも前提に入れている)、ある程度展示ローテーションするものなのですが、そんな計画に入れるに入れられないこの作品はいろんな意味で困らせたんじゃないかと思います。
まあ、芸術だからある程度は仕方ないか、納得いかないとしゃあないよね。